更新日:2019年6月25日
小金井市内にある指定文化財について、写真と簡単な説明をしています。
所在地、指定年月日については、別掲指定文化財一覧をご覧ください。
吉野家住宅
構造は、木造平屋寄棟造(もくぞうひらやよせむねづくり)、茅葺(かやぶき)(一部は鉄板葺(てっぱんぶき)、瓦葺(かわらぶき))である。
この住宅は、保存状態が良く、間取りもおおむね当初のままで、江戸時代後期の多摩地方の上層農家住宅として貴重である。
昭和38年(1963)に三鷹市野崎から武蔵野郷土館(現在の江戸東京たてもの園(外部サイト))に移築され、「名主の家」として復元された。
天明家住宅主屋の全景
長屋門
正面玄関に「式台(しきだい)」、屋根に「千鳥破風(ちどりはふ)」をもつなど、江戸時代後期から明治時代にわたる豪農の住宅である。
木造平屋建て、寄棟造りの茅葺構造で、主屋の建築年代は、18世紀後半と推定される。
天明家住宅は、昭和57年(1982)に大田区鵜の木から武蔵野郷土館(現在の江戸東京たてもの園(外部サイト))に 移築、復元された。主屋(おもや)を中心に飼葉小屋、入口に長屋門が建てられており、建物の配置は当時のままである。
奄美の高倉
江戸時代末期頃の最も発達した典型的な奄美地方の高倉である。
屋根は茅葺で4本の丸柱で支え、床組はハシカケ(隅根太)を上に向かって反らす「ハナグラ形式」を採る。
この高倉は、昭和30から昭和32年まで(1955年から1957年まで)に日本民族学会による奄美大島本島の調査の際、学術資料として同会に寄贈され、東京都保谷町(現西東京市)にあった民族学博物館に移築された。
昭和35年(1960)に武蔵野郷土館(現在の江戸東京たてもの園(外部サイト))に再移築された。
宝永五年六十六部廻国供養塔
宝永5年(1708)、紀州出身の巡礼者(六十六部)が両親の菩提を弔うため願主となって、小金井村の人々などの協力を得て造立されたものである。
巡礼者の氏名や出身地、供養に参加した村人の氏名が刻まれており、近世における廻国巡礼信仰と地域住民との関わりを示す重要な資料である。
廻国供養塔は、都内では、江戸時代中期に出現し、明治時代初年まで造られ、180基ほど確認されている。本供養塔は出現期に属し古い。
はけの森緑地2内所在(中町四丁目12番、月曜・木曜・土曜・日曜日開園)
電話:042-387-9879(直通)
FAX:042-383-1133
メールアドレス:k020199(at)koganei-shi.jp
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