小金井の指定文化財(市指定文化財その2)

更新日:2019年6月25日

小金井市内にある指定文化財について、写真と簡単な説明をしています。
所在地、指定年月日については、別掲指定文化財一覧をご覧ください。

6「有形民俗文化財」梶家所蔵板碑群(かじけしょぞういたびぐん)

梶家所蔵板碑群
梶家所蔵板碑群

板碑は中世に特有の石の卒塔婆(そうとうば)である。武蔵国のものは秩父地方から産出する緑泥片岩(りょくでいへんがん)で造られ、梵字(ぼんじ)で阿弥陀三尊(あみださんぞん)等の仏や造立年号等を刻む。
梶家には、鎌倉時代末期の徳治3(1308)年から室町時代中期の明応4(1495)年まで約2世紀にわたる50数基の板碑が所蔵されている。一か所に多数の板碑が残っていることは珍しい。

7「有形民俗文化財」梶家所蔵宝篋印塔(かじけしょぞうほうきょういんとう)

梶家所蔵宝篋印塔
梶家所蔵宝篋印塔

宝篋印塔は中世から近世にかけて、供養塔(くようとう)や墓石として造立されたものである。
梶家のものは、高さ約76センチメートルの小形で、造立の年号は不明であるが、各部分は鎌倉から室町時代の特色をみせており、比較的保存状態のよい中世の石造物として貴重なものである。

8「有形文化財」川崎平右衛門供養塔(かわさきへいえもんくようとう)

川崎平右衛門供養塔
川崎平右衛門供養塔

川崎 平右衛門は、江戸時代中期の元文4(1739)年、多摩郡押立(おしたて)村(現府中市)の名主から幕府の新田世話役に取り立てられ、武蔵野新田82か村の開発に大きな功績を残した。
川崎平右衛門供養塔は、寛政7(1795)年に関野新田をはじめ近隣7村の新田農民が代官川崎の遺徳(いとく)を偲んで造立したものである。真蔵院境内(関野町二丁目8番4号)に所在する。
正面に川崎の戒名「霊松院殿忠山道栄居士(れいしょういんでんちゅうざんどうえいこじ)」、側面に「川崎氏」と刻む。

9「無形民俗文化財」野謡(のうたい)

野謡(郷土芸能発表会)
野謡

野謡とは、農村の婚礼などの席でうたわれた謡曲(ようきょく)のことである。新田開発が進んだ享保19(1734)年頃、下山谷(しもざんや)の共同墓地(緑町二丁目5番)に堂守(どうもり)として隠れ住んだ江戸の浪人から地元の清水 金十郎に伝授され、地域に広がったといわれる。

10「無形民俗文化財」貫井囃子(ぬくいばやし)

貫井囃子(1980年初頭)
貫井囃子(1980年初頭)

天保年間(1830~1844)、貫井村の鈴木 三郎衛門等が、千歳船橋(世田谷区)の祭り囃子(目黒流)を習い伝えたものといわれ、貫井神社の祭礼に奉納されてきた。戦後、活動が中断していたが、昭和45年に故大澤 敏夫氏を中心に地域の青年等が復活、貫井囃子保存会を結成して現在に至る。
外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。貫井囃子保存会の公式ホームページはこちらから(外部サイト)

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