小金井の指定文化財(国・都指定文化財等)
小金井市内にある指定文化財について、写真と簡単な説明をしています。
所在地、指定年月日については、別掲指定文化財一覧をご覧ください。
国史跡 玉川上水
大正期の玉川上水(彩色写真)
小金井橋の説明と再現遺構
玉川上水は江戸城や武家地の用水として、また江戸市中の飲料水の不足を補うため、承応2年(1653)、幾多の困難を克服し、わずか8ヶ月の短期間で西多摩郡の羽村から四谷大木戸まで約43キロメートルの上水路を完成させたものである。
平成11年度には東京都の歴史環境保全地域に、また平成15年8月27日に、近世・近代の土木遺構としての学術的価値が認められ、開渠部分約30キロメートルが国の史跡に指定された。
玉川上水にかかる小金井橋のたもとには橋の再現遺構がある。
国指定名勝 小金井(サクラ)
名勝小金井(サクラ)
ヤマザクラ
玉川上水堤の桜並木は、元文2年(1737)年、大和の吉野山や常陸の桜川から山桜の苗木を取り寄せ、小金井橋を中心とする上水の両岸東西6キロメートル(現小平市小川水衛所跡から武蔵野市境橋まで)に植えたものである。やがて見事な桜並木に成長し、寛政9年(1797)には武蔵野八景の一つに選ばれ、江戸近郊の桜の名所となった。
大正13年(1924)には植物学者の三好 学の研究や、地元の小金井保桜会の保護活動が実り、国の名勝に指定された。しかし、生育環境の悪化等から衰退の一途をたどっており、保護対策が急務となっている。
名勝小金井(サクラ)復活プロジェクトへ
国記録選択 江戸の糸あやつり人形・東京都無形文化財 糸あやつり
糸あやつり
12代目孫三郎による上演風景
結城座は、寛永12年(1635)、初代結城 孫三郎が江戸葺屋町に創設し、明治時代に9代孫三郎が糸あやつりの各流派を統合、義太夫や歌舞伎の技法を取り入れ、結城座の隆盛に成功した。昭和31年に東京都の無形文化財、平成8年に国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選定された。
東京都旧跡 金井原古戦場
金井原古戦場の碑
南北朝時代の正平7年(1352)、南朝方の新田 義貞の子義宗・善興等が宗尊親王を奉じて上野(現群馬県)に挙兵、武蔵野を舞台に北朝の足利 尊氏と戦った。世にいう武蔵野合戦である。同年閏2月20日、20万騎に及ぶ大軍勢が人見原(府中市若松町)から金井原にかけて戦いを繰り広げ。その後、尊氏は石浜(台東区)へ軍を動かした。
昭和11年3月4日に東京都史跡(昭和30年旧跡に変更)に指定されている。昭和34年に霊園通りと小金井街道の交差点に「金井原古戦場」碑が建立された。
東京都有形文化財 旧自証院霊屋
旧自証院霊屋
旧自証院霊屋は3代将軍徳川 家光の側室お振の方の霊廟である。慶安5年(1652)、家光の長女千代姫が施主となってその生母お振の方の霊屋を自証院境内に建立した。
建物は禅宗様と和様の折衷様式で、柱・組物・桟唐戸や須弥壇などには禅宗様が蔀戸や高欄の擬宝珠、板張りの床などには和様の意匠が用いられている。
明治になると庇護者を失い荒廃してしたが、昭和32年西武鉄道によって霊屋は買収され、赤坂プリンスホテル内に移築されたが、平成7年、
江戸東京たてもの園(外部サイト)に移築・復原された。
東京都有形文化財 旧前川家住宅主屋
旧前川家住宅主屋
旧前川家住宅主屋は、日本の近代建築発展に貢献した建築家、前川 國男の自邸で、昭和17年(1942)の竣工である。
この主屋は、日本の風土になじむ瓦葺の大屋根や障子など伝統的木造建築の要素を取り入れ、前川が学んだモダニズム建築の考え方をもとに、近代的な洋風生活に合わせた機能的な都市型小住宅が実現さている。日本の近代住宅の発展過程を示す実例として建築史上重要な作品である。
昭和48年に解体されたものの、平成8年に
江戸東京たてもの園(外部サイト)に移築された。
東京都有形文化財 旧小出邸

旧小出邸
建築家堀口 捨巳が最初に手がけた住宅建築である。実業家の小出氏の隠居所として、文京区西片に大正14年に竣工した。
大きな屋根に白い箱をはめこんだデザインは、オランダ建築に影響を受けている。日本のモダニズム建築の発展過程を示す実例として建築史上重要な建物である。
平成10年に
江戸東京たてもの園(外部サイト)内へ移築された。
東京都有形文化財 旧三井家本邸
旧三井家本邸
旧財閥三井の総領家第11代当主八郎右衛門 高公が昭和27年に麻布笄町(現在の港区)に建てた邸宅である。
建築様式は伝統的な和風を基調とし、独特な和洋の融合を図っている。 日本を代表する旧財閥家本邸としての風格を留める、質の高い近代和風建築である。
平成10年に
江戸東京たてもの園(外部サイト)内へ移築された。