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小金井桜のあゆみ(1)

更新日:2019年6月7日

小金井桜の名で知られる玉川上水の桜並木は、武蔵野新田の開発が行われた元文2年(1737)頃、川崎 平右衛門等が新田の賑わいのため、吉野(奈良県)や桜川(茨城県)から山桜の名品種を取り寄せ、小金井橋を中心とする玉川上水堤の両岸約6キロメートルに植えたものと伝えられています。
18世紀の終わり頃から江戸近郊有数の花見の名所となり、江戸から著名な文人達が花見に訪れ、紀行文や詩歌、錦絵等多くの文芸作品が生まれました。小金井市が所蔵する資料により小金桜のあゆみを紹介します。

拓本「小金井櫻樹碑文」文化7年

この碑文は、武州多摩郡清水村(現東大和市)出身の漢学者大久保 忠休(狭南)が書いたもので、文化7年(1810)、門人等により海岸寺門前に建立されました。小金井桜を植えた川崎 平右衛門の業績を称えるとともに、桜の効用として、根が張り堤が崩れるのを防ぐ。春は花が人々の目を楽しませ、夏は街道の木陰になる。玉川上水を清潔に保ち、桜の花びら等が水毒を消す等と記しています。この拓本は、越前丸岡藩有馬家「円陵文庫」の旧蔵品です。

版本『玉花勝覧』文化元年

この冊子は、文化元年(1804)3月、江戸の俳人露庵 有佐が仲間3人と連れ立って小金井に花見をした時の紀行です。「小金井橋より西、ぬく井橋、とめ橋(喜平橋)の辺までは目も及ばず両岸花咲き連ねて、白雲の中に遊ぶかと疑う」と記しています。府中で一泊し、甲州街道経由で江戸に帰っています。「行く水の音やしきりに花吹雪」等の俳句を交えた紀行文の他、小金井への順路や沿道の名所を交えた絵図を載せています。この便利なガイドブックの発行によって小金井を訪れる江戸の花見客が増えました。

巻子「金井観花」文政9年

この巻物は、文政9年(1826)3月、越前丸岡藩前藩主有馬 誉純が家臣等を伴い、小金井に騎馬で遠乗りした時の作品です。江戸の宇田川町(現港区)の下屋敷を出発、四谷御門を過ぎ、青梅街道の高円寺村から五日市街道に入り、小金井橋に至る沿道の様子を記した紀行文に次いで、絵師伊星 元雅による小金井橋を中心とした満開の並木風景、さらに家臣等による漢詩、侍女等の和歌の自筆の短冊が多数貼り込まれています。武家社会の花見文化を知る貴重な資料です。

錦絵「富士三十六景 武蔵小金井」安政6年(1859)

歌川 広重は、小金井の風景を数多く描いており、これは最晩年の作品です。滔々(とうとう)と水を湛えた玉川上水が勢いよく手前に迫ってくる様子が美しいぼかしで表現されています。芝土手には赤い草木瓜(クサボケ・シドメ)が咲いています。絵の主役は手前に配された大胆な構図の赤芽の山桜の老木で、幹の空洞から遠く富士山が望まれます。時は夕方、夕日に染まる西の空に家路を急ぐ鳥が描かれています。

一枚摺「武蔵野小金井桜順道絵図」慶応4年

この絵図は、田無村の医師賀陽 済が幕末に発行した小金井への観桜経路を示したガイドマップです。玉川上水の小金井桜を中心に、武蔵野の名所、付近の宿村名、主な神社仏閣が描かれています。他に「小金井桜樹碑」・「桜樹接種碑」の全文、地元の句連の発句12句を載せています。地元の文人による作品として貴重なものです。

その2に続く

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